3.11から1年、何を想っていますか?
わたしは何を知って、何を想って、何を選んでいくんだろう?
何を想っていますか?
きっと私にとって大切な問いになったのは、
「私は本当はいったい何を求めて、ずっといたんだろうか。」でした。
命にとって大切なことを知っていながら動かなかった。
知ったつもりになって、知っていることに何か優越感すら感じていた私は、いったい心の底では、何を求めていたんだろう。
きっと、それは、自分の命に対して、
「ありがとう。あなたの命が生きていることが、命への愛だよ。
あなたの命が生きている。あなたはあなたである意味があって、あなたはあなただから、命の輪は同じ未来を目指せる。
生きていてくれて、ありがとう。
そのまま今のあなたがいることに、心からのありがとう。
そのまんまで、いいんだよ。」
と、伝えること。
そして、それは、私の大切な人、大好きな人、家族、友人、これから出逢う人に伝えたいと願う、私自身の愛の表現なのかもしれないと思っています。
伝えたいとゆう想いと共に、私は大好きな人・大切な人、命と一緒に気づきの大切な過程を共に歩みたい。
気づきの時を一緒に喜び合いたい。
違っていることに意味があって、
違いが共に在る・生きるということに意味があって、
違った命が生きているから、私たちは生きてる。
完全には交わり合えないから、
完全なものには決してなれないなら、
引き合い、惹かれあって、回っていく。
命は2つのものを内にもって、補い合いながら、照らし合いながら、繋がって、生きていける。
比較や、闘いや、勝ち負けや、資産や、持ち物、知識… 自分自身を愛する理由を探すのはもうやめよう。
あなたが生きているだけでいい。
あなたが生きて、自分の内の光を出すこと、愛の表現をすることが、別の命へ繋がっていく。
あなたはあなたの内の光を信じて、命に感謝すること。
それだけでいいのかもしれない。
その命を支えるものの1つは食べもの。
命は命をいただいてしか、生きていけない。
感謝のなかで命をいただける場があること。
大好きな人に大好き!と伝えられる自分であることは、やっぱり私にとって、とても大事なこと。
人は自然と共に生きていくことができる。
自然と共に生きていくためには1人では難しいと感じることができる。
自然と共に生きていく時、そこには、違う光をもった命・人の存在が不可欠で、照らし合って、助け合って、繋がっていくことが出来るんじゃないかな、と思う。
すべての命。違った命をうちに抱いた、それぞれの命は、違っているから、繋がれる。
光・それぞれの愛の表現で繋がれる。生きていける。
人の命、動物の命、植物の命、微生物の命、水の命、自然の命、先祖の命、すべてがそこにある。
まわりまわって旅をしてきた水を飲む。空気を吸う。土に立つ。太陽の光を浴びて、月の光を眺める。星の声を聴く。
そこには命の巡り、命の源、命の愛があふれている。
すべての命はほんとうはひとつ。
愛される理由、愛されるに足る自分になるためのものを求めて、人に求められる自分でいるために、人を受け入れるよりも、人から受け入れられるような自分でいつもいようとしてた。
はみ出さないように、間違いを言わないように。
でも、違った!
すべての命が本当は同じ方向へ向かっていると信じるなら、
私は間違いを言うこと、ずれること、違っていること、それもそれで、ぜんぶいい。
なんの問題にもならないよ。
愛の表現、あなたの愛の表現は、あなた自身をも、それを身体で、体験で、感じられるもの。
信じて、表現し続けなさい。
周りがその時は違っても、あなたはあなたの愛を信じて、表現し続けなさい。
私の愛の表現は、私の命への愛でもある。
あなた自身にも、あなたの愛はちゃんと届く。
人の目、人の考え、人の想いは、あなたの及ばぬところ、あなたが意図して変えるものではない。
あなた自身が信じて、選んで、動いて、表現する存在でありなさい。
あなたがまず、自分の信じることを経験すること・生きることを、表現する命でありなさい。